世間知らずは直さなくて良い!?|非常識に生きる大切さとは?
こんにちは、飛こーきといいます。
今回は「世間知らず」や「非常識」という言葉について、一緒に考えていきたいと思います。
まず、皆さんは、人から「非常識」とか「世間知らず」とか言われた経験はありますか?
僕は、過去によくありました。
言われた当時は気にしていたので、世間知らずを直さなきゃダメなのかなって、努力をしていた時期もありました。
最初に、世間知らずと言われ、努力したことからお話ししていきます。
目次
世間知らずと言われて努力したこととは?
世間知らずを気にして、努力していたことは、以下の通りです。
- テレビや映画、ニュースを見る
- 教養を勉強する(義務教育で学んだ)
- 上司や居酒屋で年上の人の話を聞く
- 旅行にいってさまざまな経験をする
- コンビニスイーツやその他もろもろを知る
- アニメのキャラクターや芸能人のことを知る(どんな映画にどんな芸能人が出ていたか?とか)
僕は、20代後半から30歳にかけて、これらのことをやってきました。
しかし、世間常識的なものは、自分にとって心から楽しめるようなことはなく、今でも何を学んでいたのかを覚えていないくらいです。
要は、自分にとっては必要な情報ではなかったのです。
逆に、好きなことや好きで打ち込んだ経験って、自然に覚えていますよね?
僕の場合、世間知らずを解消するために努力したことで、本当に楽しい!と思えたのは、旅行に行ってさまざまな経験をすることくらいでした。
ちなみに、旅行は「自分から初めてみたこと」です。
でも、逆に、世間知らずを解消するための努力を行ったことによって、知らなかったことに気づくこともありました。
例えば、自分が興味持てなかったこととか。
例:芸能人の名前を覚えること、テレビやニュースを見ることなど
逆に、好きでやってよかったから今後も続けてみたいこととか。
例:旅行に行くこと、コンビニの美味しいものを知ることなど
確かに、自分の知らない面に気づく発見になったので、この経験も大事だったなと、今では思います。
旅行の話に戻りますが、「自分自身が見聞を広げたい」と思って直観的にはじめた一人旅が、今でもいい時間投資にもなったし、いい思い出にもなっています。
なので、大事なのは「人からやってみろ」と言われた事よりも、「自分自身がやってみようかな?」と思ったことの方が、案外続けられたりします。
不思議ですよね?
では今から、世間知らずと言われて悩んでいる方や、非常識な人というレッテルを貼られて悩んでいる人に、「自分の個性を生かして、まっすぐ突き進んでほしい」という僕からの想いとメッセージを送りますので、当ブログが後押しになると嬉しいです。
世間知らずで何が悪い?
まず、世間知らずで何も悪いことはありません。
世間知らずなのが、誰かに迷惑をかけていますか?
迷惑かけていないですよね?
世間知らずだとか、常識がない人だという言葉は、相手のものさしです。
相手が求めていることなんて、無視すればいいのです。
でないと、あなたの人生は、相手に主導権を握られます。
そして、相手に合わせていく人生になってしまいます。
それでいいんですか?
イヤですよね?
自分の人生は自分が主人公ですので、どう生きるかは自分次第ですよ!
世間なんて気にしなくてもいい話
あとは、世間のことなんて知らなくてもいいんです。
常識なんて、人に迷惑がかかることをしなければ、守らなくていいんです。
例えば、福岡で当たり前の方言やイントネーションは、沖縄や大阪ではまったく違います。
日本では当たり前なルールは、海外では当たり前のルールではないんです。
また、時代によって常識もどんどん変わります。
昔の時代は当たり前だった常識は、今では違うことってたくさんあると思います。
例えば、昔はテレビを見るのが当たり前だった。
調べる時は、辞書を引くことが当たり前だった。
しかし、今ではSNSを見るのも良し、YouTubeを見るのも良し、ラジオを聞くのも良し。
要は、さまざまな情報発信ツールが増え、情報を得る方法も多様化してきたのです。
そして、テレビの時代がスマホの時代になったのです。
このように、時代はどんどん進化します。
それなのに、未だにテレビを見なさい!
というのは何か違うのでは?と思いませんか?
僕からしたら、クエスチョンです。
もし、あなたが誰かにそんな押し付けを受けたら、
あー、この人は古い価値観を持った人間なんだな。と思えば、ストレスを感じることはありません。
冷たいですが(笑)
そんな意見は無視して、自分の好きなことに没頭しましょう!
「言わせておけ精神」大事です!
過去の自分にも見せたいくらいです(笑)
みんなが当たり前にできることが基準ではない話
これは、小学生から中学生の「前にならえ義務教育」がそうさせてきたようにも感じますが。。
掛け算九九は、みんなできないといけないよね?とか、
パソコンはみんなできて当然だよね?とか、
みんなと協力するのが当たり前だよねとか、
そんな世間体なんて、気にしなくて良いというのが結論です。
パソコンができなくても、ドラックストア定員やコンビニ店員、喫茶店やバーの従業員のように、パソコンを使わない仕事を選んだらいいですし。
掛け算九九ができなくても、計算を必要としない仕事を選んだらいいですし。
みんなと協力するのに疲れを感じるなら、一人で独立した方が楽なはずです。
要は、自分の特性に合った仕事をするのが良いかと思います。
パソコンが使えなくても、あなたにはほかに得意なことや才能が沢山あるはずです。
例えば、人とコミュニケーションをとるのが好きとか、チームで協力してプロジェクトを遂行させるのが楽しいとか。
人によって、特技も違えば趣味も好きなことも違います。
なので、わざわざ苦手を得意にするのは時間の無駄です。
「苦手をできるようにしなさい」は、古い考えです。
人と協力して何かをしたり、人に合わせるのが苦手であれば、僕のように孤立して、一人で黙々とブログを書いてもYouTubeを発信してもいいのです。
僕は基本的に一人が大好きなので、一人でSNS運用をしたり、こうやってブログやYouTubeのコンテンツを作ったりしています。
要は、自分を基準にして、社会に貢献するためには自分は何ができるのか?を考えた方が、よっぽど大きな社会貢献ができるはずです。
世間知らずかつ非常識に生きる方法とメリットとは!?
最後に、世間知らずかつ、非常識に生きる方法とメリットをまとめました。
- 世間体は人のものさしだと考える
- 時代はどんどん変化するのが当たり前だと思う
- 苦手なことより得意なことを伸ばす
- 自分の好きなことに没頭する
- 自分を大切にできる
- 自分をもっと好きになれる
- 自分自身が幸福になれる
- 本当の社会貢献ができる
もしも、きみは世間知らずで非常識だと言われ、こういうことをした方がいいよ!そんなことをして恥ずかしいと思わないの?と、誰かにアドバイスを受けたときは、一旦、自分に必要なことなのか?本当に恥ずかしいことなのか?問いかけてみるのも良いでしょう。
最初は、世間を知らなくたっていいんです。
いずれ、あることを境に学ぶ機会が訪れます。
その時に知るでいいんです。
例えば、僕のいってた大学は実家から遠かったので、電車の乗り方は大学時代に初めて知りました。
それまでは、自転車通学でしたから。
このように、流れに身を任せるのが自然の流れなのです。
その時その時で知っていけば良いのです。
なので、「若いうちに世間のことをいろいろ知ってた方がいいよ。」というのは、ある意味、相手のものさしであり、強制感さえあるので、聞き流しでOKです。
自分のやりたいことを貫いて、生きてください。
それで成功している人が、世の中にたくさんいます。
僕も、その一人になれるように、好きなことを見つけたら一点集中です。
僕は、こうやって世間や現状に対する想いや考えを赤裸々に文章にして書くのが好きなので、今後の人生もそれを貫きます。
世間知らずと言われたり、非常識だと言われて悩んでる人が、当ブログで一人でもスッキリしたらとても嬉しいです。
最後まで、お付き合いいただきありがとうございます。